【G2中山記念】“半歩早かった馬”で的中を狙う!

 新入社員の頃、編集者として大成功を収めた方が、「編集者は一歩早くても遅くてもダメ。半歩早いくらいがいい」と仰っていました。う~ん、何か競馬にも言えそうな気がします。先週のG1フェブラリーステークスで3着に入ったインカンテーション。僕は東京大賞典で本命でした。これはなんとなく“半歩早かった”ケースな気がします。この半歩早かった馬を信じて買えるかどうかが、馬券的中の鍵になるのではないでしょうか。

■G2中山記念の本命はサクラアンプルール!

 というわけで、今週はG2中山記念。少頭数ながら豪華なメンバーが揃っていますが、◎はサクラアンプルールに打ちます。実は有馬記念の本誌予想で◎にしたのですが、最後の直線で大きな不利。競馬に“たられば”は禁物ですが、あれさえなければ掲示板には入っていたのではないでしょうか。昨年は札幌記念を勝ち、超不良馬場を先行して8着(天皇賞・秋)、そして有馬記念で仮に5着と仮定したら、十分買える馬でしょう。昨年の中山記念2着という中山適性、父キンカメ×母父サンデーサイレンスという血統、好走実績ある距離短縮ローテと、買い材料バッチリ。少し人気になりそうで、今回買っても“半歩早い”となりそうな気もしますが、ここは信頼したいと思います。

 ○はペルシアンナイト。昨年のマイルCS覇者ですが、それよりも注目すべきは2着だった皐月賞。3着のダンビュライトがAJCC、4着のクリンチャーが京都記念を勝利。5着のレイデオロがJC2着、6着スワーヴリチャードがアルゼンチン共和国杯を制しています。そんな猛者たちが集まった中で一番強い競馬をしたのは、この馬だと思っています。中山、阪神では強い競馬を見せていますし、今回も不安はないでしょう。

 ▲はショウナンバッハ。AJCCでは本命にした馬です。いつもの後方からではなく、積極的な先行策を取りました。結果、最後伸びあぐねて6着でしたが、次につながる競馬だと思っています。これで馬も活性化してくるのではないでしょうか。最終追い切りでも、4F49.2でラスト2F11.8-12.2という破格のタイムをマークしました。かなり状態がいいのでしょう。こちらも“半歩早かった”ということになってほしいですね。

 少頭数ですので、印は3頭まで。◎の単勝、▲の複勝。◎-○の馬単表裏、◎-▲のワイド、○-▲の馬連。こんな感じで勝負したいと思います。

■メルマガも好評配信中!

 メルマガ「『週刊大衆』競馬記者・セキネが関係者を極秘取材 これが稼げる必勝馬券!!」が好評配信中! 毎週、開催日に勝負レースを厳選して送ります! 関係者からの極秘情報、そして時には週刊誌の裏側まで……!?

●勝負レース本命馬が3着を外さない!

  • 京都牝馬Sも大的中!
  • 今週も極秘情報満載!

◆詳細は、http://foomii.com/00117

引用元:この記事を読む



中山記念(G2)波乱決着が再び!? 「中山巧者」サクラアンプルール「リベンジ達成」を確実視する声

中山記念(G2)波乱決着が再び!? 「中山巧者」サクラアンプルール「リベンジ達成」を確実視する声の画像1

 マイル~中距離路線のトップホースが集結。25日に中山競馬場で開催される中山記念(G2)には、今年も豪華メンバーが揃った。

 アエロリット・ヴィブロス・ペルシアンナイトというG1馬を有力視する声は当然ながら多いが、昨年の本レース2着馬サクラアンプルール(牡7歳、美浦・金成貴史厩舎 )も有力な1頭だ。

 2014年にデビューし、2戦して地方の門別に移籍。2連勝して再び中央に舞い戻り、安定感ある走りで実績を積み上げてきた本馬。

 やはり注目したいのは、昨年の中山記念における好走だ。

 メンバー最速タイとなる上がり3ハロン33秒8の末脚を炸裂させ堂々の2着。後にQE2世C(G1)を制した勝ち馬ネオリアリズムとコンマ1差という結果は高く評価できる。ロゴタイプやアンビシャス、ヴィブロスといった強豪に先着した事実も無視することはできない。

 夏の札幌記念(G2)では重賞初制覇を達成。中団追走から鮮やかに抜け出す強い競馬で地力の高さを証明した。

 続く天皇賞・秋(G1)は8着、有馬記念(G1)も16着と大敗している点を指摘する声もあるが......。

引用元:この記事を読む



【中山記念2018予想】サクラアンプルールが昨年の再現を!

2月の中山競馬開催のスタートを飾る中山記念。別定戦と言うこともあってG1馬でも斤量的に出走しやすいため、毎年好メンバーが揃います。

今年は、出走頭数こそたったの10頭と寂しい限りですが、昨年のドバイターフを世界の強豪相手に勝利したヴィブロスをはじめ、昨年のNHKマイルを勝ったアエロリット、マイルチャンピオンシップを勝ったペルシアンナイトと、計3頭ものG1馬が出走してきました。頭数が少なくてもレベルは決して低いレースではないと言えます。

ただ、今回筆者が注目しているのは、その3頭のG1馬ではなく、昨年の札幌記念を制した牡7歳のサクラアンプルールです。

サクラアンプルールは、昨年の中山記念で8番人気ながら2着に好走し、その後札幌記念で初重賞制覇を果たしました。ここ2戦は古馬のG1秋の天皇賞、有馬記念と出走し8着、16着と結果はでていませんが、戦った相手や格を考えると、先述のG1馬3頭よりもむしろ高いレベルだった訳で、決して戦績的に劣るものではないのです。

あらためてサクラアンプルールの昨年の戦績を見てみると、昨年2着の中山記念からG1大阪杯13着→G3函館記念9着→G2札幌記念1着→G1天皇賞秋8着→G1有馬記念16着でした。好走した後2戦凡走して好走するというのを繰り返しているのです。そして今回は秋のG1・2戦を凡走した後なので、順番的には好走する番なのです。

着順だけ見ると前走も16頭中16着と最下位です。そのことで評価が下がってくれるなら、今回相手も弱くなった上に、好走する番なのですからサクラアンプルールは配当的にも魅力的な一頭です。

ということで、凡走が続いて今度は好走の番となったサクラアンプルール。昨年は2着と好走した中山記念ですが、今年は昨年の再現、もしくはそれ以上の結果を期待したいと思います。

引用元:この記事を読む



【中山記念】小島太師 ディサイファとともに最終章飾る 唯一無二のホースマン

 中山記念がラストランとなるディサイファと調教師最後の重賞に挑む小島太師

 中山記念がラストランとなるディサイファと調教師最後の重賞に挑む小島太師

 「中山記念・G2」(25日、中山)

 2月末で定年を迎える10人、勇退する2人の調教師にとっては、今週末の競馬が最後の実戦となる。騎手時代は“サクラ”の主戦としてダービー2勝を挙げるなど活躍、調教師に転身後もマンハッタンカフェ、イーグルカフェでG1・5勝を挙げた小島太調教師(70)=美浦=は、中山記念にディサイファを送り込む。馬にとってもこれが引退レース。“華”のあるホースマンが最後も存在感を示すか。

 知床連山を望む北海道小清水町。世界遺産という言葉もなかった1947年、小島太は馬商の家に生を受けた。10戦無敗で日本ダービー制覇後、破傷風のため急死したトキノミノルがモデルの映画『幻の名馬』に感動し、競馬の世界にあこがれて上京。騎手になる夢をかなえた。そして今、全力疾走したホースマン人生52年の最終章25日を待つ。

 その生き様は騎手時代に集約される。華がある騎手と言われた。詩人、故寺山修司は「パリのジゴロか伯爵夫人のつばめか(中略)美しい馬に乗って華麗なレースをするのが小島太」と表現したものだ。日本ダービー2勝をはじめG1級レース10勝、重賞85勝。一方で、ミスと非難された騎乗も多かった。

 私生活も華やか。相撲好きで、亡くなった先代九重親方(元横綱千代の富士)と親交が深かった。相撲協会八角理事長とは今も酒を酌み交わす仲だ。他にも大物芸能人、プロ野球関係者、ゴルファーなど人脈は多彩。従来の騎手の枠から大きくはみ出していた。それゆえ、シンパとアンチの両極端に分かれたが、独自の世界を築き上げたことは誰も否定できない。

 人と同じ道を行くのが性に合わなかった。大厩舎は騎乗機会が少ないと思い、欲しいと言ってくれた高木良三厩舎に入門。選択は正しく、メキメキ頭角を現したが、師匠の馬でビッグタイトルを獲れなかった。騎手時代で一番、思い出のレースは?の問いに返ってきたのは意外な答えだ。

 「桜花賞のサクライワイ(74年2着)。2番手でドシッと構え過ぎて仕掛けが遅れ、最後にインから武邦(故武邦彦元調教師)さんのタカエノカオリにスッとかわされた。スピードが身上の馬。オレに焦るぐらいの気持ちがあれば良かったが…。帰りの新幹線で師匠が『もったいなかったな』とつぶやいたのはズシンと心に響いた。今でも悔いが残る」

 一般的なイメージからは想像しにくい言葉。「それに比べてダービー2勝の喜びは、ほとんど瞬間で終わり、自分の中にはそれほど残らなかった。もちろん、すごく価値があって大事なレース。そこまでのプロセスも長いから十分に楽しめたがね。いつも完璧を目標にしたが、そうは乗れないことが多かった」。多くの失敗の上に数少ない成功がある。小島太に限ったことではないだろう。

 騎手フリー化に先鞭(せんべん)をつけた。83年、“サクラ”の全演植と騎乗契約をかわした。日本では初のケース。「フトシ」、「オヤジ」と呼び合う父子以上の関係ともいわれた。ケンカ別れした時期もあったが強い絆は復縁。全の死去9日後の93年スプリンターズSをサクラバクシンオーで優勝、恩を返したのはあまりにも有名だ。

 88年サクラチヨノオーでダービーを制する前には父・竹次郎を亡くしていた。鬼の形相で追いまくり、メジロアルダンとの壮絶な叩き合いに勝った。辛口で知られた調教師の境勝太郎が「あのダービーは太の腕で勝った」と絶賛したものだ。悲しみ、逆境を勝利への執念に転化する、まれな能力を持っていた。

 「オヤジがいたから外国の一流のフレディー・ヘッドやフランキー・デットーリたちと知り合えた。流れる血の違いを感じ、日本人の自分じゃかなわないと思った。その前、アメリカに行って乗れずに帰ってきたこともあったが、当時としてはすごい経験。関取や芸能人との付き合いでは、プロは同じものを目指し同じ感覚なんだと実感した。それやこれやはオレの貴重な財産になっている」

 調教師に転身後、心から喜びを感じたことはないという。「勝てるはずの馬が負けたら、心の中でバカヤローと思う。でも、我に返って騎手の目で見ると仕方ないと感じることも多い。勝っても責任を果たせた安堵(あんど)が先立ち、騎手の時ほど楽しくなかった」。中山記念のディサイファが最後の重賞挑戦。馬にとってもこれが引退レースだ。「全力で無事に走ってほしい」と願う。

 小島太は競馬界の太陽、巨星ではなかった。だが、役者に見立てれば代わりがいない存在。自分の意志を持ち、縦横無尽に天空を駆け巡る彗星(すいせい)だった。騎手で1024勝、調教師で475勝(他に地方1勝)。残り2日で、あと1勝に迫るJRA合計1500勝を達成できるか。この男は最後まで希望を与え続けてくれる。=文中敬称略=

提供:デイリースポーツ

引用元:この記事を読む



尾形のプライド最後まで胸に “大看板”と競馬界背負い続けた3代目・充弘氏

 いよいよホースマン人生に別れを告げる尾形充師

 いよいよホースマン人生に別れを告げる尾形充師

 日本の競馬界に大きな足跡を残した尾形藤吉元調教師を祖父に持つ尾形充弘調教師(70)=美浦=が、今週の競馬を最後に40年以上におよぶホースマン生活に別れを告げる。祖父・藤吉、父・盛次(元調教師)の流れを引き継ぐ“尾形3代目”として競馬の盛り上げに貢献、日本調教師会の会長を務めるなど要職を歴任してきた。ラストウイークは中山、阪神で10頭がスタンバイ。区切りのJRA通算800勝を目指して最後の戦いに臨む。

 大学を卒業後、いったんは一般企業に就職した尾形充師だが、祖父・藤吉師の勧めで競馬界に入り、尾形藤吉厩舎の調教助手になったのは1975年。その偉大な祖父が81年に他界した翌年に厩舎を開業し、ここまで『尾形藤吉の孫』という重圧を感じながらも、真摯(しんし)に競馬と向き合ってきた。

 「やはり“尾形”の名前は私にとって大きな看板でした。ただ戦前の厳しい時代から、祖父をはじめ先人たちの苦労があって、今がある。時代とともに変わってきたこともあるけど、我々は競馬のスペシャリストとして矜持(きょうじ)、プライドを持ち続けなければいけない」ときっぱり言い切る。

 祖父からは「褒められたことはなかった」と振り返るが、JRA歴代最多の1670勝、さらには日本ダービー8勝と空前絶後の記録を残した名伯楽に間近に接してきて、そのスタイルを自然と受け継いだのだろう。重い十字架を背負いながらも、貫いてきたホースマンとしての姿勢がブレることはない。

 グラスワンダーでの98、99年有馬記念連覇など、ここまで積み上げてきたJRAでの勝利は799。「交流重賞のエンプレス杯(09年)をニシノナースコールで勝っているから、自分の中では、もう800勝はしているつもり」と笑ったが、中山、阪神に計10頭を送り込む今週末で、区切りの勝利を達成したい気持ちは強い。

 「もう少しやりたかったという気持ちになるのかなと思ったが、感傷的にはなっていない。案外、淡々としているよ。でも、最後の1頭まで期待して見ていますよ。競馬は何が起こるか分からないから」。勝負師の表情で力を込めて語った。

提供:デイリースポーツ

引用元:この記事を読む



今月末で定年の尾形充弘調教師、JRA通算800勝10頭出しで決める!

 今月末で定年引退、勇退する調教師12人が今週末にJRAで最後の出走を迎える。22日、出走馬が確定し、グラスワンダーを育てた尾形充弘調教師(70)=美浦=はJRA通算800勝にあと「1」と迫り、10頭出しの大攻勢で有終の美を飾るか。

 双眼鏡を机に置き、尾形充調教師はゆっくりと椅子に腰掛けた。「昨日、最後の追い切りが終わってね。もう少し感慨深くなるかなと思ったけれど、案外淡々としているかな」。馬に向けていた鋭い眼光から一変し、穏やかな笑みを見せた。

 名伯楽が36年の調教師生活を終える。祖父・尾形藤吉元調教師から続く3代目。日本ダービー8勝を含む重賞189勝、中央競馬歴代最多の1670勝の記録を打ち立てた「大尾形」の看板を背負ってきた。98、99年有馬記念連覇などG1で4勝を挙げたグラスワンダーを育て「みんなグラス、グラスと言うけれど、いろんな馬に思い出がある」と、JRA通算799勝を積み上げた歴代の管理馬に敬意を払った。「ニシノナースコールでエンプレス杯(09年、交流G2)を勝っているからね。それを足したら800勝。都合のいいように解釈しているよ」と笑った。

 10~12年に調教師会の会長を務めた人格者。「時代が人と社会を変えていくから、批判することはないよ」と、移りゆく競馬界を受け止めながらも、心には確固たる軸がある。「調教師はジェネラリストではなく、スペシャリストであってほしい。営業マンではなく、職人であれ。そのくらいの誇りとプライドを持ってやってもらいたい」と、後進にメッセージを送った。

 今週は中山、阪神で10頭が出走。25日は中山に家族が応援に駆け付ける。「ディナーは妻と2人でね。たまには夫婦で行くのもいいでしょう」。上品な白髪をかき分け、再び腰を上げると、双眼鏡を手に取って北馬場にまなざしを向けた。(石野 静香)

<尾形充厩舎の出走馬>

 【土曜中山】

2Rシャイニーロケット

8Rハイアーヴォルト

10Rコパノディール

10Rトータルソッカー

12Rプレゼンス

 【土曜阪神】

4Rニシノラヴコール

 【日曜中山】

7Rピアノイッチョウ

8Rニシノストーリー

 【日曜阪神】

3Rグラスコマチ

4Rフォルテメンテ

引用元:この記事を読む



【阪急杯】今月末で定年の福島調教師、ダイアナヘイローに武豊が騎乗「乗ってくれるのは本当にありがたい」

 最後の週にユタカと重賞に挑む。阪急杯にダイアナヘイローを送り出す福島調教師は「去年、北九州記念も勝ってくれたし、あれだけのジョッキーですからね。乗ってくれるのは本当にありがたいです。追い切った後も具合はいいですよ」と状態の良さを感じ取る。

 騎手時代は62勝を挙げ、平成元年(89年)に厩舎を開業。「長かったような、短かったような…。やっと終わった感じがします」と振り返った。

 思い出に残る馬には91年の京阪杯で厩舎の重賞初勝利となったイクノディクタス、14歳まで99戦を走り抜いたミスタートウジンを挙げた。30年の調教師生活の集大成となるG3で存在感を示す。

<福島厩舎の出走馬>

【土曜阪神】

4Rテイエムユキヒョウ

6Rナムラシンウチ

6Rヤマカツリーダー

11Rシャイニービーム

【土曜小倉】

3Rテイエムチャメワン

【日曜阪神】

1Rナガラリバー

1Rナムラユメ

3Rパープルヒストリー

8Rナムラヘラクレス

11Rダイアナヘイロー

【日曜小倉】

12Rナムラアッパー

引用元:この記事を読む



【阪急杯】福島師「お世話になった人のためにも」ダイアナヘイローとラスト重賞獲る

 ダイアナヘイローで阪急杯に挑む福島師

 ダイアナヘイローで阪急杯に挑む福島師

 「阪急杯・G3」(25日、阪神)

 2月いっぱいで定年を迎える福島師は、阪急杯にダイアナヘイローを送り込む。「これが最後の重賞挑戦になる。なんとかいい競馬をさせたいね」と穏やかに話した。騎手から調教師に転身したのが1988年、翌89年3月に開業。先週時点での勝ち星はJRA通算360勝を数える。

 ダイアナヘイローは4歳夏の昨年6月から大ブレーク。「もともと体質が弱かったが、大事に使ってきたことが大きかった」と当時を懐かしそうに振り返る。500万特別から4連勝で8月の北九州記念での重賞初勝利を飾るまでに成長。その後2戦の成績はさえないが、トレーナーはまだ力は衰えていないと強調する。

 「(水曜の)最終追いはしまいだけサラッと流した程度だったが、とてもいい動きだった。まだまだやれるはず。開幕週の阪神の芝も合っていると思う」と状態面に太鼓判。

 囲碁、将棋に加えゴルフなど多趣味な福島師。定年後も自分らしく生きていきたいと笑顔で語る。「お世話になった多くの人たちのためにも」と、最後の重賞で競馬人生を締めくくる。

提供:デイリースポーツ

引用元:この記事を読む



【阪急杯】福島師 豊ダイアナで引退花道期待「いい競馬を」

ラストウィーク任せた!!2月で引退する福島師は阪急杯出走のダイアナヘイローに有終の美を託す
Photo By スポニチ

 競馬界は別れの季節――。2月いっぱいで定年引退、勇退する調教師は東西で12人。栗東ではJRA通算360勝(5800戦)を挙げた福島信晴師(70)が、最終日となる日曜重賞の阪急杯にダイアナヘイローを送り込む。昨夏に4連勝で北九州記念を制した快足牝馬。鞍上・武豊で劇的な感動Vも夢ではない。 【阪急杯】

 ジョッキーからトレーナーに転身して30年。「平成」の競馬界を支えてきた福島師はラストウイークを迎えても、いつも通りの穏やかな表情は変わらない。

 「長かったようで、短かった。30年ですからね。いい時もあれば、悪い時もある。やっと終わったかな」

 厩舎の名前を有名にしたのは“鉄の女”とも呼ばれたイクノディクタスだろう。93年の安田記念、宝塚記念で連続2着。牡馬相手に激闘を演じた。牝馬としては異例の51戦を走った名牝。「最初の重賞を勝った馬だし、やっぱり思い出の一頭。女の子だけどドッシリしていて、よく(レースを)使ったな」と懐かしむ。

 JRAの最高齢出走記録の15歳まで走り続けたミスタートウジンも当時、話題を集めた一頭。「99回まで走ってくれて、テレビの取材を受けることもあった。よく活躍してくれたね」。近年ではナムラクレセント(08年菊花賞3着、11年天皇賞・春3着)、ナムラビクター(14年チャンピオンズC2着)がG1で活躍。ビッグタイトルには手が届かなかったが、記憶に残る数々の馬を育て上げた。

 ラストウイークの重賞・阪急杯には、鞍上武豊でダイアナヘイローを送り込む。昨夏に4連勝で北九州記念を制した快足牝馬。今年初戦のシルクロードS(16着)は粘りを欠いたが「この前は“休み明けボケ”だったのかも。調教はいつも通り動いているし、力を発揮してくれれば」と反撃に期待する。

 指揮官が当レースに管理馬を出走させるのは、91年のイクノディクタス(10着、当時は6月の京都開催)以来。運命的な巡り合わせを感じずにはいられない。“鉄の女”ほどではないが、ダイアナヘイローも3戦連続で牡馬相手の重賞を戦ってきた。「最後の重賞なんで、いい競馬をしてくれたら」。最後に競馬の女神が、ほほ笑むかもしれない。

引用元:この記事を読む



【今週ラストウイーク小島太調教師独占告白=前編】我が騎乗3大ベストレース

88年日本ダービーをサクラチヨノオーで制した小島太

 惜別の時が来た。1966年にJRAから騎手デビュー。97年からは厩舎を開業して辣腕を振るった小島太調教師(70=美浦トレセン)が2月いっぱいで定年引退となる。競馬は今週末がラストウイーク。ジョッキーとして、またトレーナーとして数々のGIを手中にし、多くの競馬ファンに愛された男は半世紀余の競馬人生を終える今、何を思うのか!?

 日本ダービー2勝(78年サクラショウリ、88年サクラチヨノオー)を筆頭に重賞84勝。大舞台で無類の勝負強さを発揮した騎手時代は、その派手な言動込みで熱狂的なファンを集め、同時に同等数のアンチも生んだ。

「やはりジョッキー時代が最高だったさ。子供のころからの夢を実現できたんだからね。仕事と思ったことはないから、つらいと感じたこともない。今、思えばむちゃな減量もしたけど、当時はなんてことなかった」

 一方で調教師時代を振り返る際は「最悪だったな。(プレッシャーで)目方は騎手の時より減ってしまったくらい」とトーンが一変する。

「俺の気性だからジョッキー時代は半分“てんぐ”になっても突っ走っていけたさ。でも調教師はあくまで裏方。生産、育成、調教とすべてのプロセスに関わって多くの人間とコミュニケーションを取らないといけない。すべてに苦労を感じたし、つらかった。騎手としてレースを勝った時は体中から喜びがほとばしったけど、調教師としては責任を果たせた安堵感のほうが大きかったよ」

 その言葉だけを聞くと“第2の人生”は惨たんたるものが想起されるが、実績は騎手時代(JRA通算1024勝)に勝るとも劣らない。

 GI・5勝を含めてJRA重賞24勝。JRA通算475勝(18日終了現在)は、騎手として1000勝以上を挙げた調教師の中では野平祐二氏(調教師=402勝)を押さえて歴代トップだ。

「勝ち星はまだまだ若い河内(洋)くんや松永(幹夫)くんにすぐ抜かれるさ。それでも改めて思い返すと、多くのオープン馬を育てて重賞もたくさん勝ったんだよな」

 キャリアハイの年間40勝を挙げた02、04年、さらに06年(37勝)は優秀調教師賞を受賞している。むしろ成功者の部類ながら、当人の達成感が低い理由はホースマンとして目指した理想が高かったからにほかならない。

「騎手時代から憧れたのはエプソムダービーにケンタッキーダービー。もちろん凱旋門賞も。今でも万全の状態だったらサクラローレル(前哨戦の97年GIIIフォワ賞8着→引退)もマンハッタンカフェ(02年13着→引退)も好勝負になったと信じている。タフな精神面、欧州の芝向きの走法、それにジョッキーの意思通りにレースを進められる操作性…。本当に両馬とも条件は兼ね備えていた」

 自由奔放な騎手時代、そして質実な調教師時代。対極的な2つの人物像を結ぶカギは当人の口からもしばしば聞かれる「ホースマン」というワードだ。生産界やマスコミも含めたすべての競馬関係者を意味するこの言葉は、本紙で連載された自伝(ホースマン 夢追えば楽しい日々=13年)のタイトルにも用いられている。「オレらの仕事は何より馬が好きでなければできない。そして“夢”を持っていなければ続けられない」

 有名無名を問わず騎手としてまたがった馬の“ネタ”が尽きることはない。「大レースを勝った馬も勝てなかった馬もそれぞれに思い出がある」のは当然のことだ。あえて選んでもらった“ベストレース”はホースマン視線からの充足感が基準となっている。

 ベスト3のうち“全盛期”からのセレクトはサクラチヨノオーの日本ダービーだけ。「コクサイトリプルとメジロアルダンと3頭が並んでの叩き合い。力のある馬同士が差され、差し返して最後は自分の執念が勝った。子供のころに映像で見たレースも含めて、歴代でナンバーワンの素晴らしいレースだったと思う」

 他は騎手としての引退を翌春に控えた95年秋。ジョッキーとしてひとつの境地に達した中での2回のGI制覇はホースマンとしても満足のいく仕事だった。

「外枠不利が定説の府中の2000メートル。最内枠が当たった時点で勝てる予感がした」。サクラチトセオーが直線で大外一気を決めた天皇賞・秋だ。道中は後方16番手。「見ている方はあんな後方から届くか不安だったかもしれない。ただ、早めに抜け出すと味がなくなる馬だったから。むしろ“まだ早い、まだ早い”と自分に言い聞かせながら追い出しを待ったほど。乗り方がブレることはなかったし、自信はあった」

 そして騎手としては最後のGI制覇となったエリザベス女王杯のサクラキャンドル。10番人気の伏兵だったが「自分が100%の騎乗をすれば負ける気はしなかった。ちょうどその1年くらい前から競馬が面白くなってきてね。自分のミスで負けてカッカするようなこともなくなったし、レースが“見える”ようになったんだ。キャンドルの時も冷静でいられたし、自分でもうまかったと思う。ただ会得した時が辞める時だった。正直、辞めたくなかったよね」。

 チトセオーとキャンドル…2歳違いの兄妹にとって同レースが最初で最後のGI制覇だった。ステッキを置く前に最高の騎乗で勲章をプレゼントできたことが両レースを特別なものにしている。
 では、「最悪だった」という調教師時代はどうだったのか。

☆こじま・ふとし=1947年4月11日、北海道小清水町生まれ。66年に騎手免許を取得し、JRA通算8474戦1024勝(重賞は84勝)。96年2月に騎手を引退。同年に調教師免許を取得し、翌年3月に厩舎を開業。JRA通算5683戦475勝(重賞は24勝=18日終了現在)。

引用元:この記事を読む